さいたま新都心大道芸フェスティバルは、第1回開催時より、フランス語で、テアトル・ド・リュー(道の劇場、道の上のアート)という考え方をもとに、ご来場の皆様とアーティストの距離を縮めることで、新春の寒さを吹き飛ばすようなあたたかいひとときを会場全体で創ることを目標に開催してきました。
20回目となる2025年1月11日、12日の新春も、54組の素晴らしいアーティストとご来場の皆様とで素敵なひとときを創りましょう。会場でお待ちしています。
プロフィール
中央大学法学部卒。音楽、演劇のプロデューサーを経て、1986年に第1回野毛大道芸に制作として参加し、1989年に総合プロデューサーに就任。
以来、「三茶de大道芸」「ひたち国際大道芸」「テアトル・ド・リュー東京」「さいたま新都心大道芸フェスティバル」「高円寺びっくり大道芸」「まつもと街なか大道芸」などを次々とプロデュース。
審査会に合格したアーティストにライセンスを発行し、都有地など活動場所として開放する東京都の「ヘブンアーティスト」制度の創設や、若いアーティストの海外派遣にも尽力。
2014年3月に芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)を授賞。
今や2日間の来場者数8万人~9万人を誇るさいたま新都心大道芸フェスティバル。その立ち上げの頃の思い出をお聞かせください。
ときは2003年の秋。年明けにさいたま新都心で大道芸フェスティバルを行うことが決まりました。私の中では、さいたま新都心とは、巨大な大宮操車場のイメージが強い場所でしたが、実際に現地を訪れたらさいたまスーパーアリーナの他、広いデッキや通路、けやきひろばなどの屋外空間が広がっており、イメージが一新されました。
準備期間は約2カ月。とにかく時間がない中で慌ただしく大道芸フェスティバルは始動しました。
今ではパフォーマンス部門386組、音楽部門99組を数えるヘブンアーティスト制度も当時は創設してから約1年。私にとっては真っ白なイメージの場所で、それも1月の寒い屋外。
一体どんなフェスティバルになるのか、お客様は来てくださるのか、全く予想できませんでした。
準備期間2カ月。寒空の下での大道芸。どんなフェスティバルになるのか想像がつかないですね。
第1回目の大道芸フェスティバルはどんな雰囲気だったのかお聞かせください。
ときは2004年1月10日・11日。さいたま新都心けやきひろば2か所、17団体のヘブンアーティストのライセンスを有する大道芸人ではじめた第1回さいたま新都心大道芸フェスティバル。
さいたま新都心駅から次から次へとお客様が現れるのです。当時は特にお孫さんを連れたおじいさん・おばあさんが多かったですね。寒い1月の季節にこの来場は全く予期できませんでした。今よりも寒かったですし、風も強かった気がします。でも、次々とお客様が来るんですよ!これはきっと近隣の小学校を中心とした広報活動も大きかったですね。
寒空の中、中国雑技芸術団をはじめ、多くの芸人の演技を11時から15時まで※楽しんでいただけました。(※現在は16時まで開催しています。)
大盛況となった第1回を経て、今年で20回目を迎えます。そんなさいたま新都心大道芸フェスティバルの特徴を改めてお聞かせください。
大きく2つあると考えています。
1つ目は、「世代を超えて引き継がれていく文化」です。
第1回の予期せぬ大盛況を受けて、徐々に会場や出演団体数を増やしていったことで、現在は、さいたま新都心けやきひろばの他、コクーンシティ、JRさいたま新都心駅東西自由通路、JRさいたま新都心ビル前の13会場での開催となり、延べ出演団体数も684団体となりました。
その間に、コクーンシティを筆頭に様々な景観が増えて魅力的な会場に成長すると同時に、おじいさん・おばあさんと一緒に来ていた子どもたちが大人になり、ご自分の子どもを連れて来る方やヘブンアーティストのライセンスを得た大道芸人となってパフォーマンスを行う側になる方も出てきました。
これは、私が最初に立ち上げた野毛大道芸フェスティバルが、まちの風物詩となったのと同じような側面があり、さいたま新都心は「世代を超えて引き継がれていく文化」としての大道芸フェスティバルが定着したと考えています。
文化が引き継がれるためには、その魅力がお客様の心に伝わる必要があります。そのためには、その場しのぎや技術一辺倒のパフォーマンスでは足りません。お客様の呼吸を見る、いわばコミュニケーションをとりながら雰囲気も大切にしてパフォーマンスをすることが大事です。
それこそが劇場の完成度を屋外で偶発的に観ることができる、テアトル・ド・リュー(道の劇場・道の上のアート)の醍醐味です。道がアーティストの表現場所であるがゆえに、たまたま出会うことができます。そして、その大道芸人とお客様の距離はとても近いです。
演技が終わった後もすぐにコミュニケーションを取ることができます。
2つ目は、「1年のはじまりとしてのフェスティバル」です。
私と息子の隆平(All Street 合同会社 代表 橋本隆平氏)が関わる大規模な大道芸フェスティバルについては、さいたま新都心の前には、11月の久留米たまがる大道芸が、さいたま新都心の後には4月の高円寺びっくり大道芸があります。
つまり、11月から4月の間の大規模なフェスティバルは、さいたま新都心のみなのです。
しかも新しい年になってすぐのフェスティバルです。お客様も大道芸人も予定が立てやすい。
1年間の活躍をうらなうような側面も大道芸人にはあります。さいたま新都心で成功した大道芸人はどこでも成功する、というような印象すらあります。出演条件は第1回から殆ど変化していない中で、この数年間はありがたいことに110組前後のエントリーがあることがひとつの証左かなと思います。
「文化」・「1年のはじまり」として定着したさいたま新都心大道芸フェスティバルについて、継続していく秘訣をお聞かせください。
着実に良い大道芸人が出演することや切れ目なく続くプログラム構成なども大事ですが、特に大事なのは「余韻」です。
第10回から開始した「フィナーレ」がまさにその発露です。土曜日は、コクーンシティのコクーンひろば、日曜日は、さいたま新都心けやきひろばでそれぞれ開催する「フィナーレ」は、「終わりの次の始まり」を演出します。様々な大道芸人が動いては消え、動いては消える、自由自在で華やかな時間があることで、今年のさいたま新都心の総決算となり、「また次回もお会いしましょう」とメッセージがお客様に余韻として伝わります。これが大事なんですね。寒空の中、とても心はあたたかくなり、また来年も来ようという気持ちになるのです。
「余韻」、「終わりの始まり」こそが次回開催の秘訣なのですね。その開催を支えるアーティストの皆様におかれましては、延べ出演団体数にして、684団体。今年で700団体を超えることになるかと思います。アーティストの皆様から「先生」と呼ばれる橋本隆雄プロデューサーにとって、「大道芸人」とは何か、お聞かせください。
雰囲気、技術、伸びしろ、お客さんとコミュニケーションを取ろうとする意思、親切心。
こうした要素を持っていて、人の心を捉えて離さない、とにかく明るくして驚かせる、そんな大道芸人が「大道芸人」です。
加納真実や芸人まことは、全国津々浦々からファンが集まるほどの技量を有しています。
松鶴家天太やマサトモジャは優しい雰囲気が魅力。以前、大道芸フェスティバル本番前日に埼玉県立小児医療センター外来ラウンジに出張したことがありましたね。そのときの彼らのパフォーマンスに子どもが次々と距離を縮めていきましたよね。
1カ所で集中的にパフォーマンスを行う定点では、アートパフォーマー☆ファイター☆や松本かなこがアートでいい味を出しています。会場を回遊するウォーキングアクトでは、河童のOkkがちょっと怖いイメージからとても面白いイメージに昇華していきました。
大道芸人は育成と伸びしろの有無も重要で、私が鍛えに鍛えて精進を重ねた結果、SUKE3&SYUなどはとても伸びてきました。
HIBI★Chazz-K、チャラン・ポ・ランタン、K-TARO、Yuka&Giovanni Gypsy Duoなどの音楽系の大道芸人も欠かせませんね。特にさいたま新都心は年々良い音楽系の大道芸人がエントリーしてきてくれています。
「大道芸人」を多数輩出してきた橋本隆雄プロデューサーの流儀と第20回目のさいたま新都心大道芸フェスティバル開催にあたっての意気込みをお聞かせください。
私には本番時の流儀があります。それは、「出演した大道芸人には全て声をかけること」です。
大道芸人たるもの、全てのパフォーマンスは初心のごとくフレッシュな気持ちで、前向きに臨んでもらいたいので、演技前に声をかけます。そして、フェスティバル終了後、何か感じて持ち帰ってもらい、より良い大道芸人になってほしい、という思いがあります。ですから、本番終了後に、今後を期待して細かく助言することもあれば、大いに褒めることもあります。
さいたま新都心大道芸フェスティバルは、2004年の第一回開催時より、フランス語で、テアトル・ド・リュー(道の劇場、道の上のアート)という考え方をもとに、ご来場の皆様とアーティストの距離を縮めることで、新春の寒さを吹き飛ばすようなあたたかいひとときを会場全体で創ることを目標に開催してきました。20回目となる2025年1月11日、12日の新春も、54組の素晴らしい大道芸人とご来場の皆様とで素敵なひとときを創りましょう。会場でお待ちしています!